減反政策をやめたのに、なぜ減反は続いているのか?
1. 減反政策は2018年に”廃止”されたはずだった
2018年、日本政府は米の生産数量目標の配分、いわゆる”減反政策”を廃止しました。政府が農家に対して米の作付量を割り当て、過剰生産を抑えるという制度は終わったはずです。表向きには、農家や産地が自主的に生産を決める”市場原理に基づく時代”が始まったことになっています。
しかし、現場では「実態は何も変わっていない」と感じている農家が多く、作付制限や作付誘導といった“減反的な動き”が今も続いています。なぜこうしたねじれが生まれるのでしょうか?
2. 国際社会からの圧力
日本政府が減反政策を廃止した背景には、国際的な自由貿易の流れも影響しています。WTOの農業協定では、減反のように生産制限と補助金が結びつく政策は「ブルーボックス補助金」とされ、透明性や抑制努力が求められてきました。
日本の米政策はアメリカやオーストラリアなどからたびたび批判され、交渉上の重荷ともなっていました。政府にとって減反廃止は、国内制度の見直しであると同時に、国際的な説明責任を軽減する側面もあったのです。
3. 政策のコストと制度疲労
もう一つの理由は、減反政策の運用コストと制度疲労の蓄積です。農協や地方行政は、作付面積の調整や割り当ての管理、農家への説明と説得など膨大な事務作業を担ってきました。また、実効性にも限界が見えてきており、米価の下落を完全には防げなくなっていました。
こうした中で、政策としての持続可能性に疑問が生じ、「いっそ制度そのものを終わらせるべきだ」という声が政府内にも広がっていったのです。
4. 補助金の構造が減反の継続を促している
生産調整がなくなっても、農家の経営判断に大きな影響を与えているのが、「水田活用の直接支払交付金」と呼ばれる補助金制度です。これは、飼料用米や大豆、麦などに転作することで交付される仕組みで、主食用米を減らすほど補助金が得られる構造になっています。
つまり、「作らないこと」ではなく「違うものを作ること」への誘導が続いており、結果的には主食用米の作付を抑制する、実質的な“減反”が維持されているのです。
5. 地域と農協が生産調整を“空気”で続けている
さらに、農協や地域の農業委員会などが「需給バランスを守るため」として、農家に対して非公式に作付制限を促すケースもあります。制度上は強制力がないものの、「作りすぎると米価が下がる」「周囲に迷惑がかかる」といった空気の中で、多くの農家は自主的に減反を選ばざるを得ない状況に置かれています。
この構造は、かつての“行政による割り当て”が、“地域と空気による同調圧力”に姿を変えただけとも言えるでしょう。
6. 国は自由化し、責任を手放した
形式上、政府は「市場に委ねた」と主張できます。生産調整をやめたことで、米価がどうなろうと国の責任ではないという立場を取ることができるようになったのです。これはある意味、政策からの撤退とも言えます。
しかし、補助金という財政的誘導と、地域での事実上の調整が残っている以上、農家の実感としては「何も変わっていない」のです。実際には、2018年以前も以後も補助金は出続けていますが、以前は国が明確に生産数量目標を設定し、その見返りとして交付金が支払われていました。
一方、制度廃止後は、国が責任を手放した形となり、JAや農業委員会など地域レベルでの“暗黙の作付誘導”と補助金による誘導が実質的な減反を続けさせています。構造的には、主導権が「国から地域組織」へとすり替えられただけで、現場を縛る力学は何も変わっていないのです。
これが現在の“ポスト減反”の実態です。
7. 減反が続く本当の理由
減反が続く本質的な理由は、「農業は守るべきもの」という前提を、今なお誰も本気で見直そうとしていないからです。特に地方の小規模・兼業農家にとって、補助金と米価の安定は長年生活の支えであり、それを守ることが“農政の使命”であるという価値観が、農家側にも行政側にも根深く残っています。
こうした価値観の延長線上で、農業政策が“票を集める基盤”と見なされてきた側面があるのも事実です。地域に広く分配される補助金や、農協との関係は、政治的にも安定の土台とされてきました。あえて制度を壊しにいくインセンティブは、誰にとっても小さいのです。
8. 真の自由化とは何か? 誰のための政策か?
「減反をやめたはずなのに、減反が続いている」という矛盾こそ、日本農業の制度疲労を象徴しています。本当の意味で自由な農業を実現するためには、補助金の構造そのものを見直すとともに、農家が自らの判断と経営で将来を描ける環境を整える必要があります。
市場原理という建前だけで現場を縛り続けるのではなく、制度の整理と責任の明確化こそが、農業再生の第一歩になるはずです。
2025.5.27
甘夏ニキ